なんだか、よくわからないけれど出来ているのなら、これでいいんじゃない?
仕事もプライベートもこんなふわふわしたカンジで進むことが多くなりました。
AIの発達により、ますますその感覚は加速されて「なぜ?」を問いかけても、その原因や理由などの答えが出てこない。
加えて情報過多で忙しいため疑問を追求する余裕もなく、あらゆることが時間と共に流れていく…。
特に生活環境の中にある通信の世界やオーディオ機器などは、ワイヤレス化がどんどん進み「なぜ、繋がらないのかがわからない」けれど、試行錯誤して触っているうちに急に繋がったりする奇怪さ、ありませんか?
せっかくなので、次回も同じような現象が起こったときのためにその原因を知っておこうとか、この機会に対処法を学んでおこうと考える気概する拒まれて、きちんと対応することなく「ま、でも繋がったんだからいいや」で済ませえてしまう日々。
相手が機器であれば、「ま、こんなものか」で済むかもしれませんが、相手が人間であれば「ま、LINEで繋がっているのだから…」とか「ま、これでいいんじゃない?」とはいきません。
人間にはひとそれぞれ意思や感情があるので、結果オーライ(こんな言葉も死語になりましたが)でコミュニケーションを取ってしまうと「なぜだか分からないが、最近コミュニケーションがうまく取れない」と言うことも往々にしておこります。
さらにコミュニケーションを取ることが面倒くさいと思ってしまうと、大切なコミュニケーションスキルを上達させる機会すらなくなっていきます。
【コミュニケーションは、面倒くさがらないことが大切】
この言葉が、私たちのコミュニケーション研修のベーシックなキーワードになっています。